今までのこと全部ウソ

 

全部嘘なんです、と前置きして本当のことを書くブログがかっこいいと思っていた。それが嘘でも本当でもいいと思っていたから。

 

何を書こうとしていたのか忘れる。自分の私生活というか、最近あったこととか、具体的な名前を出して記述をすることとか、いろいろやってたけど全部無意味だったんだなと感じる。それは今が深夜2時過ぎだからかもしれない。明日の朝になったら全てどうでもよくなっているんだろう。こんなこと書きたくなるのは■■■■■■■■■■■■■■■■からなのかもしれない。いつだって動機は不純で、不確定なものだ。

 

広告を売る仕事を半年くらい前からしている。お客さんはみんな「費用対効果が感じれないんだよね〜」という。単純にこの広告を出して、どれくらいの利益が見込めるかわからない、20万かけて広告を出してもそこから繋がる利益が1万くらいだったりする、みたいな話。それは巡り巡って広告を見てどのくらいの人を購買までつなげられるかってことになるんだけど、人間の購買理由なんてたかが広告1つで左右されるものではないだろ、とも思ってしまう。買う理由がたくさんあるように、買わない理由もたくさんある。そしてそれはタイミングだったり、ちょっとした気持ちの変化だったりする。だからそもそも広告に費用対効果を求める方がどうなの?とも思う。まぁ、そんなことみんなわかってるんだろうけど。だから広告を売る方も、買う方もある種の運ゲーなところもある気がする。タイミングで、気の持ちようだ。うまい営業トークとか、お客さんとの信頼関係とか、これまでの実績とか、うまくいく要素はたくさんあるんだろうけど。

要するにわたしはまだそういうのがよくわかってないですって話ね。

 

26歳になった。今年で26年間経った。だから今は27年め。27's clubに入会するのであれば来年の誕生日が来るまでに死ぬことになるんだけど、死ねるかは謎だ。山手線の外回りも内回りもわからないまま死んでいいのかな。まぁそれくらいはわからなくてもいいか。

コロナが少し治ったと言われていて(というよりみんな慣れた?)、街に出るとたくさんの人がいるんだけど、最近それが少し怖い。こんなにたくさんの人たち、それぞれにそれぞれだけの人生があると思うと怖い。あー、自分って自分だけのものなんだ。あの子ってあの子だけのものなんだ。好きな人も好きな友達もみんな、それぞれだけのものなんだ。

だから「自分」の選択で「自分」のために生きましょうと言われるのか。

 

わたしは誰でしょう

わからないでしょうね

恐るな神聖