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笑い話

 

わたしが好きなラブリーサマーちゃんという歌手の曲の名前です。

この曲のサビにある「いつになったら偶然会えるようになるのかな」という歌詞、最高すぎ。

 

高2の時にラブサマちゃんのことを知って、その時付き合ってた人と自分のことをラブサマちゃんの歌に重ねていたりしていた。その人とは付き合ったり別れたりを繰り返していて、だからわたしはその人と街中で偶然出会いたいと思っていたし、いつかこんなツラいと思っていることも笑い話になるのかなと思っていた。まあ、今はすっかり笑い話になっているから時の流れはすごい。

 

今日ラブリーサマーちゃんのワンマンライブに行った。前からラブサマちゃんのライブに行こう行こうと思って行けてなかったので今日行けてよかった。サークルの先輩は結構ラブサマちゃんと仲良しな人もいて、招待(ゲスト?)で行こうよと誘われたりしたんだけど誘われた時にはチケットを買ってしまっていたので普通にお金を払って行った。こういう小さい投資でラブサマちゃんには美味しいものを食べて欲しい。鳥の串カツとか。

 

ラブサマちゃんの曲は何回も何十回も携帯の中で再生していたはずなのにライブで聴いた時は全然違ったし(良い意味で)、いろんなことが思い出されてライブはすごいなぁと感じた。高2の自分とかもう4年か5年も前のことなのに、ライブ中になんだか高2の自分を思い出してしまってノスタルジックだった。高2ってあんまりいいことなかったな、、、部活が強かったくらいだ、、わたしはマネージャーだったから何もしてないけど、、、

 

全体的に「青さ」というものが強調されていたライブだと感じた。照明もラブサマちゃんの服も、来場者へのゆるいドレスコードで用いられたのも青。そしてラブサマちゃんが歌う歌詞には青という歌詞が多く入っている気がした。

 

青春、青さ、隣の芝生、青の瞬き。

 

わたしは好きな色はなに?と聞かれたら青とは答えない気がする。青色が嫌いなわけではなくて、単純に青よりも好きな色があるから。でも青っていろんなことを一色で表せられる色なのかなぁとも思った。黒だと混ざりすぎてよくわからないし、赤だと主張が強すぎる。けど、青なら心の中の曖昧な部分とかどうしようもならない部分とかも表せられるのかなぁ。と、曲を聴いていて思った。

 

バイト終わりに見たラブサマちゃんのライブは最高だった。バイト終わりだったから立ちっぱなしで足が死んでたけど。

 

ツイッターでずっと相互だった子とも会えた。わたしのブログを全部読んでると言ってくれて嬉しいような恥ずかしいような気持ちになった。これも見てるかな笑。

ずっと知ってるようで知らないような、近くにいるのに遠いような、もどかしい関係だったけど1回会ったらもう友達だよね。また会いたいな。

その子はわたしがラブサマちゃんを推していたことがきっかけでラブサマちゃんを好きになってくれたらしくて、それもとっても嬉しかった。そうやって好きになってくれて、そのアーティストのライブで初めて出会うってなんか奇跡みたいだよね。

 

まあ、人生は奇跡の連続なんですけど。

 

 

これから夜行バスに乗って名古屋に向かいます。そして岐阜に行きます。

4列シートの夜行バス、初めて乗るけど明日は体バキバキになってるんだろうな。

 

 

流れ星を見に山に行きたいな。

 

 

桜の季節

 

すぎたら

遠くの街へ行くのかい?

 

 

桜がもう咲いていて、その画像がSNSでちらほら見られるというこの季節が

わたしは未だに慣れない。

 

熱海では2月の初旬にもう咲き終わっていて、こないだ行った時にはもう枯れていた。早いなあと思ったし、なんだか同じ時間が過ぎているとは思えなかった。

東京でももう桜が咲いている場所がある。これからもっとあったかくなったらすぐに咲いちゃうんだろうな。

でもこれって、わたしの周りの人にとっては当たり前のことで、卒業式に桜が咲くことも入学式に桜が咲くことも全部毎年あることなんだよなあ。

 わたしにとっての桜は4月の終わりから5月はじめに咲くもので、それは18年という年月の中の当たり前だからいきなり崩れることってないんだよね。

 

今日大好きな友達とまた東京の話をした。

わたしはずっと、東京近郊(埼玉とか千葉とか)に住んでる人なんて東京に住んでる人と同じじゃん。と思ってた、

でも友達と話してて違うのかなあって思い直した。

友達は地元が山梨なんだけど東京に行くにもバスで2時間かかるんだって。わたしは新幹線で4時間。全然違うって思ってたけど、それでも2時間かけて東京にのぼることと4時間かけて東京にのぼることはどっちも時間の長さとかではなくて、「東京にのぼる」という点では同じ。同じように埼玉とかに住んでる人も30分でも1時間でも時間をかけて「東京にのぼって」いる。

それぐらい東京は強い。

 

朝の満員電車に乗ってると、小学生とか中学生とかも乗ってて小さい頃から満員電車に乗ってかわいそうと思ったけど、逆に小さい頃からそういう経験ができるってわけで。田舎じゃ電車すら来ないもん。

わたしが今どんなに頑張ってもこれまでの田舎で過ごした18年間は変えられないし、小さい頃の経験はその時しか経験できないものだもんね。

 

その子は東京で生まれて育ちたかったと言っていた。

 

やっぱり東京で生まれた方が幸せだったのかな。

親も住む場所も自分で選んで生まれることはできないから。

 

 

桜の季節はいつになったら違和感がなくなるんだろうか。

 

 

 

Special

 

映画「わたしはロランス」を見た。

またまた阿佐ヶ谷で。

 

以下、感想を書きます。まだ見てないけどこれから見る予定の人は見ない方がいいです。

 

 

まず、わたしはこの映画を主人公・ロランスのトランスジェンダーという性同一性障害というところに焦点を当てた物語だと思っていたんだけどまったく違った。ロランスと恋人のフレッドの2人の、1つのカップルの恋の物語だった。

去年も性同一性障害の主人公の映画「リリーのすべて」を見ていて(たしかこれの感想も前にブログに書いた)、「リリーのすべて」ではわりと性同一性障害ということに関するところに焦点が当てられていたから「わたしはロランス」も同じような感じなのかなと思っていた。けど、「わたしはロランス」では様々な要素が深く絡みついてる気がして、性同一性障害のことも、恋人とどう向き合うかということも、その人生が普通なのかスペシャルなのか、自分自身と深く向き合おうとするロランスと恋人のフレッドの物語だなあと思った。

結果的に最後に2人は別れてしまうんだけど、ラストシーンでロランスがフレッドに対して「わたしたちは、わたしが女にならなくても別れていたと思う」 と告げるシーンがあって、誰かを愛することや他人と関係を結ぶこと(恋愛関係でなくても)はとても難しいのだと感じた。自分のことを1番大切に考えて行動することって当たり前のことだけど、今はそれをできる人が少ない気がするな。どこかで他人に気を遣って接して行動してる気がする。

フレッドは普通になりたかったけど、ロランスの生き方がスペシャルすぎてついていくことができなかったんだよなあ、

それを尊重できるのか、できないのか

普通なのか、普通じゃないのか。

 

一緒に見に行った友達は、みんな見た目にとらわれすぎじゃないかな?って思ったと言っていた。

本当にその人の魂ごと愛してるなら、見た目はどうでもいいことになるし、男の人を男と定義しているのも女の人を女と定義しているのも、全部見た目の問題じゃない?と話しててなるほどなって思った。

だから見た目はやっぱりめちゃくちゃ重要なんだと思った。

例えば自分の好きな人とかも見た目がいい悪いあって、

かっこいいから好き、かわいいから好きっていうのは少なからず誰にでもあるものだと思う。ブス専って言われる人でも、その人にとってはかっこよかったりかわいく見えるからブスには見えてないもんね。

見た目が1番目につくものだから、それを超えて魂ごと愛することなんてできるのかなあってわたしは思う。

異性愛、同性愛だって見た目で定義されてるじゃんね。

 

わたしはロランスを見てからもう2日たつし、なにがいいたいのかよくわかんなくなってしまった。

 

やっぱり感想を書くときはその日の夜に書くべきだね。

次からはそうします。

 

いま、グザヴィエドランの新作「たかが世界の終わり」が新宿で上映されてるからバイト終わりにでも見ておきたいな。

 

特別な夜をつくろう。

 

 

wonderwall

 

映画『Mommy』をみた。ユジク阿佐ヶ谷という映画館で。

前から見たかったんだけどなかなか見る機会がなくて、ようやく見れた感じがする。

 

グザヴィエドランの映画はトムアットザファームを友達とDVDで見たことしかなかったから、映画館で観れることが嬉しかった。

前に友達と話してて思ったけど、わたしは映画館で観る映画が好きだなと思う。その友達もそう言ってて、わたしもそうだなと思った。映画館で観る映画は集中できるし、シンプルに感情移入しやすくなっている気がする。だから来週もユジク阿佐ヶ谷に映画を観に行きます。

 

Mommyの感想を書きます。まだ観てなくてこれから観る予定の人はみないほうがいいです。

 

単純にめちゃくちゃ泣いてしまった。簡単にいうと母親と発達障がいの男の子の話なんだけど、親の強さというか子どもに対する愛情をめちゃ感じた。そして、自分が親になった時にそういうふうに子どもに接してあげられるのかなと思った。今の時代だとお腹の中にいる時からその子に障がいがあるかどうかが調べられるらしい。障がいがあるとわかって子どもを堕ろす人もいるけど、なんだか命を選んでいる気がして悲しい。経済的な理由とかで障がいがあったら育てられないなんて理由もあるかもしれないけど、子どもを産んで育てるってそういうことではない気がする。自分が子どもを産む時に同じことを言えるかわかんないけど。

映画のワンシーンで母親が息子に対して「あなたのせいでわたしの人生はめちゃくちゃよ!………………でも、いいの」

っていうセリフがあってそこが印象的だったな。そこが覚悟というか、親になるということなんだと感じた。

でも最後には、母親が息子を施設に送っちゃうんだよね。それはごくわずかな希望のために施設にいれたって母親が女友達に話すんだけど、わたしは最初それの意味がわかんなくてなんでなんだろう?と思った。映画が終わってからネットでいろんな感想レポみたいなものを読んで、施設にいれて息子をある程度でも自立させるためだったんだと思った。

親はだいたい子どもより早く死ぬ。

だから親が死んだ時に何もできないままだともっとつらくて希望なんてないから、その希望をつかませるために施設にいれたのかなと思った。

施設に入れるときのシーンとその前の回想シーンでめちゃくちゃ泣いた。泣きっぱなしでやだなあ。

 

映画館で流れるoasisのwonderwallが最高だった。

和訳詞が字幕で流れてて、こんなこと歌ってたんだってなった。

「僕を救えるのは君だけ」っていう歌詞がすごい頭に残った。「君を救えるのは僕だけ」じゃないんだと思ったから。

僕がスーパーマンになるのではなく、君がスーパーマンになる世界に行きたい。

 

 

わたしを救えるのはあなただけです。

 

 

 

そういうことだったのか

 

最近サウンドクラウドで聴いてるマイミーンズというバンドの歌。

部室で流してたら知ってる人が2人くらいいて、マイミーンズって有名なんだって思った。わたしはこの曲以外知らないんだけどね。

 

 

1月の後半くらいから新しいバイトを始めたんだけど、ずっと同じ勤務帯がわたし1人だけだったんだけどこないだ入った時にもう1人いて、その日はその人と2人で勤務した。初めて会ったはずなのにめちゃくちゃ話しやすくてすぐ仲良くなれた(気がした)。年上の男の人でフリーターってこれはよくあると思うんだけど、その人が自分で「ぼくは学がないから」って言っててまじすか?って聞いたら中卒ですって言われてなんか衝撃だった。わたしのなかの中卒は中学の時のヤンキーみたいなクラスメイトだけで、うちの中学でも中卒の人って3人くらいしかいなかったし、わたしのこれまでの人生の中でも出会ってきた人で中卒の人ってその3人しかいなかった。だから、なんとなく中卒を頭が悪い、育ちが悪いという概念の言い換えワードのように思ってて実在することを忘れていたんだけど世の中にはやっぱりいるんだと思った。考えてみれば高校、大学って進学するなかで中卒の人と出会うことってないしバイトしててもだいたいは学生だから本当にわたしの人生の中で初めて出会った中卒の人といってもいいかもしれない。中卒という概念をバカにしてたけど、その人は話してて学がない感じはしないしむしろ挨拶とかきっちりしてて敬語も使えてて大人って感じした。でもearthのスペルがわからないことが発覚してやっぱり…ってなって自分に悲しくなった。人間性において学歴なんて関係ないのかもしれないけど自分の中で学歴ってのはめちゃくちゃ大きいもので、その差ってか考え方はなかなか変えられないなと思った。階層同類婚みたいな概念はあるけど、それってやっぱ仕方ないことだと思うし、自分にないものを持ってる人は魅力的にみえるけど自分がすでに持ってるものですら持ってない人に対しては魅力的には映らないよなあって思う。だから階層同類婚に陥りやすいんだろうね。

 

わたしのこの考えもこれから先の人生でまた変わっていったりするのかなぁ、

まったくわからないけど、変わったりしたら楽しいんだろうね。

 

春休みなのできちんと自分のやりたいことやろうと思います。

 

自分と向き合うことはとっても難しい。

 

 

 

 

またね

 

メンヘラ神ちゃんという人物を知っているだろうか、

 

わたしは最近初めて知った。

その界隈ではそれなりに有名だったらしい。メンヘラコンテンツとしてツイッターとかブログとかを更新していたみたいなんだけど、元カレ?か彼氏に死ねと言われて本当に飛び降りてしんでしまった。

 

しんだらすべて無くなるのかと思ったけどブログがまだインターネット上に残っていたり、ツイートがbotの形で残っていて電子の海をさまよっていた。メンヘラ神ちゃんのブログをチラッと見たけど、それだけで気持ちが悲しくなった。

生きていた証が、インターネット上にあった。

それってすごいことじゃないかなあ。しんでしまってもまだ、生きてる人に生きていた証を見せつけられる。

 

わたしはしんだあとも誰かに生きていた証拠を手にとってもらえるのかな。

 

家族以外の誰かに、肯定してもらえるのかな。

わからない。

誰もそんなことわかんないよね、わかってるけど。

 

あたしが死ぬほどバカだったんだよ。

 

 

加藤ミリヤ

 

昨日成人式でした。

世間的には9日が成人式なんだろうけど、わたしの地元は地方で帰省してくる人も多いからそれに合わせて帰れるように8日にやってるんだと思う。

 

成人式自体は普通で、終わった後いろんな人と写真撮ったりしたけど大体高校の友達とたくさんとったな〜って印象。

中学の人はなんとなく避けちゃったな。あんまり会場で見つけられなかったってのもあったけど。

 

普通みんな成人式終わったあとは中学の同窓会なんだろうけど、わたしは同窓会に行かなかった。中学3年の時のクラスの仲が超悪くて3年の時のクラスが嫌いだったし、今更同窓会とかしてどうするの?という気持ちになってしまったので、3年の時に仲よかった友達だけで集まって飲んだ。同窓会には担任の先生も来てたらしくて、先生には会いたかったしお話したかったなあって思った。わたしだけその仲よかったグループを抜けて同窓会に行くのもアリだったのかな?と思ったけどできなかった。

バカみたいと思うけど、昔の自分に戻ったみたいだった。目立ちたくない、嫌われたくないってずっと思ってた。仲間はずれにされないようにみんなが好きっていう曲聞いて、みんなが好きっていう番組見て、みんなが嫌いっていう人の悪口言ってた。加藤ミリヤは、みんなが好きって言ってたから聞いてた。このままずっと朝までっていう曲が1番好き。

成人式終わって、飲みも終わって、家に帰って中学の頃の自分を思い出して加藤ミリヤを聴いた。昔に聴いてたはずなのに加藤ミリヤは今のわたしを歌ってた気がした。

 

中学の時の自分が嫌いだったけど、中学の友達と一緒にいたらその自分に戻ってしまうし、いつまでもあの頃の自分から変わることができないのかなと思った。悲しいなあ。あの頃よりもいろんなことを考えて行動しているはずなのに。中学の友達も変わっていない気がした。こういうこと思うのは失礼かもね。

 

みーんな、中学卒業からたくさんいろんなこと経験して成人式を迎えているはずなのになんにも変わっていない気がして、でもちゃんと変わってて、それは自分でしか感じられない変化なのかな。

 

 

フードコートでおしゃべりしたり、駅ビルで買いもしない服を見たり、ゲーセンのプリクラコーナーで自撮りしたり、昔とおんなじことしてるのに、なんでこんなに変わっちゃった気がするんだろう。

 

朝がきたら、新幹線に乗って東京に帰るよ。

 

成人おめでとうございます。