大人になっても ver2.0

 

あたしのガラケー

ブクマにモバゲー

一生懸命作ってたホムペ

何年生の頃だっけ

みんなハマったノマノマイェイ

lyrical school…。新譜「BE KIND REWIND」が最高すぎる。中でもJinmenusagiが詩を書いている「大人になっても」という曲が素敵すぎる。

大人になっても

大人になっても

ネットのインタビュー記事を読んでわかったんだけど、リリスクのメンバー1人1人の昔の思い出から引用して詩を書いたらしい。なにそれ!最高すぎる!

だからかもしれないけれど、同世代の女の子じゃないとわからないんじゃないの?この感覚っていうことも詩にされていて、わかるわかるという共感しか得られなかった。その中でも好きな歌詞がこれなんだけども

プリクラだらけの筆箱と財布

シールと想い出が溢れ返る

なんとなく捨てられなくて

なんとなく捨てたくなくて

ほんとこれね!としかならない。プリクラ信者だったわたしは(今もプリクラ信者すぎて嫌がられる)、1日遊ぶだけでプリクラ五回撮ったりして、次の日缶の筆箱に貼ったりして、友達に自慢したりして、今となってはそんな文化もないから自慢にも何にもなんないけど、捨てたくなくて今でもジップロックいっぱいに昔のプリクラを入れて保管したりしてる。

 

あ〜〜こういうノスタルジックな雰囲気が女の子のラップを通して思い出されることめっちゃいいな、素敵だよねえ。

リリスクは元気な感じも好きだけど今回のアルバムは結構大人っぽい曲も多くて、成長している女の子を感じた…。

アルバムを通して聴いても、元気な雰囲気から少しづつ大人っぽくなってて、元々の良さを残しつつ、最後のREW)PLAY(FFでは

あのころも今も未来も

きっと思い出して笑える BABY

Fast forward rewind play with you

っていう、もう、もうね!ラスト曲で過去現在未来全部巻き込んで巻き戻しても一緒にいようねって歌ってくれてるんですよね。

自分の今までの人生を全て肯定された気持ちになれてとても良いなぁ。

REW) PLAY (FF

REW) PLAY (FF

tengal6の時にtofubeatsが作曲してた曲をたまたまサンクラで聴いて好きになって、調べたらtengal6からlyrical schoolになってて、そこから好きになったんだけど、その時よりも今はもっと歌もダンスもラップも上手くなってて最高〜

ライブ行きたいな…。(11/24 ツアーファイナルだれか一緒に行きませんか???)

 

リリスクの話終わり!最近は会社の人とうまくやってる自負があるが、わたしの周りはうまくやってないのでそれが気になってしまう…。みんながいる前で悪口みたいなこと言わなくていいのに…。

仕事だけでなくてもなんか自分の傲慢さとか嫌な部分を感じてしまうことがあって、気に病んでいたこともあったけどこないだ友達に「あすみがポジティブだからポジティブな人が集まるし、絶対幸せになれるよ」って言われて愛を感じた…。

過去も現在も未来も全て肯定していきたいな自分のこともみんなのことも。

 

2019年夏はステキな思い出ができましたか?

つらいこともあったね、

それでもなんとかしようとしたね、

一生懸命生きたね。

夏への未練はネイルの中だけにして、これからの秋を感じていこうね。

 

ありがとう それから さようなら ye ye

なにもかも これから まだこれから だから

大人になっても 十何年後も

わたしはわたし

忘れたくないの

 

いのち

 

自分の言葉で言いたいよ

君の言葉で聞きたいよ

生きる言葉を絶やさないよ

絶やさないよ

 

8/10〜14にかけて地元に帰省をした。

地元に帰るのは正月以来だから7ヶ月ぶりくらいだった。

お父さんもお母さんもお姉ちゃんも変わってはいないように感じた。

大学生から社会人になって、住むところも関わる人も変わって、変化を感じていたのはわたしだけだったのかもしれない。

自分が思っていたようなキラキラハッピー社会人にはなれていないな、と思っていた時に

お父さんやお母さんの実家に遊びに行って親戚に

「社会人としてがんばってらんだべ」と言われてしまう。そうだね〜としか言えない、本当のことはいつも秘密だ。

未だに出身高校でランク付けされたり、もう一生会わないような近所の知り合いの話をされたり、友達と居酒屋に行ったら中学の時に同じクラスだったたいして仲良くない人と会うような土地はもう嫌なのだ。

いつも帰省であっていた友達はだいたい東京に来ていて、地元にいて会いたいと思える友達がいなくなってしまったし、なんだか窮屈な場所だなと少し思うようになってしまった。

誰のことも何のことも考えずに自由に、自分の人生を、自分の為のものにしたいなと思った。

 

帰省中は少し悲しいことを考えた時もあったが、面白かったこともあった。お母さんの方の実家に帰った時に、中学三年生のお母さんが書いていた日記が出てきて、それを読んだらわたしが考えているようなことをツラツラと書き連ねていた。やはりこの母にしてこの子あり、という感じだ。部活でこういうことがあった、と書いた直後に最近は自殺について考えている、と書いていたり、将来の仕事の話をした後に嫌いな女の話を書いたりしている(嫌いな女に対する心構えがマジでわたしと同じスタンスでウケた)。同時期に出会っていて、わたしがこの文章を読むことができていたら多分お母さんになる前のお母さんとは、友達になれていただろうなぁとなんとなく思った。

お母さんがその日記の中で紹介していた詩が良かったのでわたしも紹介したい。

好きになるということは

心をちぎってあげてしまうのだから

痛くてしょうがないのです

この詩の後に 「雰囲気のすてきな詩だと思っています!」という一文が添えられている。

なんて瑞々しい感性なのだろう。日記の文字も、今とあんまり変わっていなくて好きだ。

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自分に興味がないので他人のことを知るのが好きだなと常日頃思っていたのだけど、友達の話はいくら知ることができても自分の親は親という側面しか知ることができないと思っていた(親以外の側面を教えてもらったことがなかった)ので、自分の親の、親になる前の一面を知ることができたことがとても嬉しかった。

人間の物語をもっと深く知りたいと思う。だから、映画も小説も、演劇も音楽も好きだ。物語を感じられるものが全て好きだなと思った。

 

みんなの物語を、ぎゅっと詰め込んでキラキラした飴玉みたいにしたい。

 

明日言葉を

失うとしても

悔やまぬように

本当を言いたい

 

 

煙の花束

 

謎めいた奇跡の切れ間を

眠り続けている

よく似た姿の僕らに

もしも出会えたなら驚く

 

ナツノムジナの新譜、最高〜〜!!

どんどん良くなっているこの人たちは天才集団か。

天才集団メルヘンのサンドイッチ食べたいな。

 

思えば7月14日だった。3年前から7月14日をなぜか大切にしている。日々に絶望しないためにだ。

 

今年の7月14日は例の予定を埋める病気が最大限に発揮された日だった。

 

11時30分

地元の友達と会社の先輩と高円寺でフルーツサンドを食べた。11:30開店で行ったらもう既にたくさんの人がいて、限定40食のフルーツサンド予約帳にギリギリ間に合った。13時くらいにまた行けば良いとのことで高円寺駅前まで戻ってカフェに入ってご飯を食べた。タケノコとオクラのカレー美味しい。フルーツサンド屋に戻って少し待って入店。ワンドリンクオーダー制でアイスティーを頼みフルーツサンドと共にいただきました。

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これはシャイニングマスカットのフルーツサンド。

めっちゃおいし〜〜!!!!!!!!

 

食べ終えて駅まで向かっている道で寝ているのか死んでいるのかわからないおじさんを見かけてドキドキした。死んでないといいな。

 

15時

渋谷で前バイトしてた時の友達と会う。友達が昼ご飯を食べてないらしくまたもやカフェへ。今日3軒目だぞ。アイスティーを飲みながら近況報告を聞く。シーシャ吸おう!って言ってシーシャ屋に入る前にコンビニで食べ物飲み物調達。タピオカがなくてみんなで病んだ。結局そのあとタピオカ屋に並んで黒糖タピオカを飲んだ。わたしは黒糖タピオカほうじ茶ミルクティーをチョイス。ほうじ茶は絶対にハズレないのですごい。シーシャを吸いながらくだらない話をする。こういう時いつも「うちらサイコー!」のノリになってしまうが大丈夫かな。約束があるので次へ。

 

19時

中野に戻ってくる。最近仲良くしてくれている人と合流し、居酒屋へ。三連休半ばの夜はどこも混んでいて困る。結婚ってなんなん?って話とかいろんな話をした。結構嬉しかったのは構築の話で、わたしと似たようなことを考えている人がいるのかと思った。店を出て少し散歩する。中野〜高円寺間は公園とコンビニがたくさんあって良いな。高円寺の歩道橋が好きだ。また会いましょうと言って帰宅した。

 

23時

インターネット。

 

 

6時

目を覚ます。いつのまにか寝てしまった。今日はやれなかったことをやるんだ掃除とか。

また1年が始まってしまう。

 

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Underwater Girl

 

彼のことは確かに好きだった。

確かに好きだと思っていた時期があった。

半同棲のように過ごしていたら、考え方の違いとか、どんどん不満に思うことが増えた。

なんなんだろうこの人は、と思っていた時もあった。今は思っていないよ。

 


彼のことが全てわからなかったし、彼もわたしのことをわからなかっただろうと思った。

わたしの話を受け止めてくれて、理解してくれたことは嬉しかった。最後にきちんと話ができてよかった。

何か思うことはある?と聞いたら今日で最後なんだなって思った。と言った彼に清々しさも感じた。わたしより彼の方が大人だった。

家にある荷物とビールを取ってじゃあね、と言って去っていった彼を見て、

耐えきれずにまたね、と言ってしまった。

そしたらまたはないかな〜ありがとうね!と言って姿を消していった。本当にその通りだね。またねとか言ってしまってごめん。

 


人との繋がりを切ってしまうことがとても怖い。誰かと関係を結ぶことが好きなのだ、友達でも恋人でも、人と人が繋がることが好きなのだ。わたしのエゴで関係を切ってしまうことが怖い。つらい、悲しい。

 


今日はそういう悲しくなることを自分からしてしまった。相手を傷つけた、同時に自分も傷つけた。

彼がわたしの家から帰ってから1人で少し涙を流した。

浴びるようにお酒を飲んでバカになりたい気分だ。

ありがとう、これからも元気に路上でビールを飲むあなたを想って、わたしも路上で緑茶ハイを飲んでいきたいと思うよ。素敵な人と出会って幸せになってください。今までの時間を無駄と思わないで、体には気をつけて、しっかり生きてください。あなたと出会ったことをわたしは忘れないし、なかったことにはしない。

 


p.s.

最後に思うことあったけどブログに書かれるから言わない!って言ってたけど、本当にわたしのことわかってるな〜と思ったよ。

 


終わり

 

幸い後悔ねぇもうどうでもいいの

愛憎好き嫌い それすらなんでもいいの

 

 

ナニカ

 

吉祥寺アップリンクで月極オトコトモダチという映画を見てきた。

自分はわりと男友達が多い方だから主人公の心の揺れとかがよくわからないな、と思った。

どこが友達の境界線になるのか、という境界線を見つけるという名目でレンタル男友達と主人公が手を繋ぐ、キスをする、セックスをするの3段階にわけて確かめてみようって話をして実行にうつすシーンがあるんだけど

自分は男友達とセックスをしても友達でい続けられるな、と思うし実際そうなので、そこで線引きをしてしまうことに共感はできなかった。

キスとかセックスをする、という行為はそんなに重要なのかな、わからないけど。

 

こないだ男友達の話を男の人としたんだけど、わたしは本当に対等でい続けたい人とは絶対にセックスしないという話をして、それはセックスをしてしまうと男と女という性別での関係になってしまう気がするから、、、みたいなことを言った。対等でなくなってしまう気がするから嫌なんだ、みたいな、あれ〜これって前述していたことと相反してしまうかな?うーん、友愛と性愛の話は難しすぎる。永遠に答えが出ないからこんなにもみんなが興味を持つ事柄なのかなとも思うな。

みんなはどうですか?絶対にずっと付き合っていきたい人とセックスできますか?

まあわからないよね〜。

 

吉祥寺から中野に帰ってきて、駅の中を歩くたくさんの人たちを見たらすごい複雑な気持ちになった。こんなにいろんな人たちがいて、その人たちの人生の主人公はその人たちで、主人公ってめっちゃいるんだなと思った。

男女4人グループではしゃいでる大学生も、付き合ってないけどいい感じっぽい社会人男女2人組も、ホームレスも、大きい荷物を持って大変そうな外国人も、みんな主人公ということ、結構考えるとつらいな。なんでつらいのかはわからない、言語化できないけれど。

 

映画を見ると感情移入してしまうこと結構あるけど、やっぱり映画の中で描かれている主人公はわたしたちで、どこかでそういう人生を歩んでいたかもしれないって思うから感情移入してしまうんだよな〜

だから物語が好きだなと思う、あれは他人のことでそしてわたしたちのことでもあると思えるから。

 

早く俯瞰して報われたいね。

 

 

東京

 

なんでどうして君の方が

僕よりお酒が弱いのに

大人びたように見えるんだろうか

君のままでいたいんなんて言葉聞き飽きたから

うん、君が

君のままでいたいなんて言葉聞き飽きたから

このまま遠くに行っちゃって

東京

 

あれもう6月か。

5月はブログを一回しか更新しなかったな。

文章を書く日常が非日常になってしまった。

 

中野に引っ越してから彼氏がよく家に泊まり来るようになった。別にそれが嫌なわけではないけど、

今日彼氏が脱ぎ捨てた黒いパンツが実家の猫みたいに見えてしまったからそろそろ本当に存在が当たり前になってしまっている気がする。

高校の時に部活が一緒でほぼ毎日を過ごしていた友達が、地元の大学を出て東京に就職し、最近はよく遊んでいる。昨日「てか明日も会うじゃん!またね〜」と言って新宿駅で別れた時、18歳のわたしを思い出したな。高校時代は毎日一緒にいるのが当たり前で、大学入ってから半年に一回しか会えなくて(帰省の時だけ)、四年を経てまた結構な頻度で遊べていることは四年間を取り戻そうとしている感じがして良い。

その子と最近たくさん会えて嬉しいと話したら「わたしは当たり前じゃないんだから、安心しちゃダメだよ」と言われた。ドキッとした。

何事も当たり前ではないんだよな〜心に留めておきたいことなのに結構忘れてしまったりする。

みんなにもわたしのことを当たり前だと思って欲しくないな。

 

仕事を始めて2ヶ月たった。特に大変ではない。ていうか全然大変じゃない。赤ちゃんでもできるわ。

最近は会社の人にどこまで自己開示していいかわからなくて悩んでいる。

こないだ新入社員向けに社長が講話をしてくれたんだけど、自己開示をすることで相手とのコミュニケーションが生まれる、みなさんも自己開示を恐れずに仲間とコミュニケーションを取っていきましょうという話を冒頭にしていた。わたしはむしろ自己開示をしすぎて引かれてしまうことが多い。

自分の当たり前も相手の当たり前も同じだと思って接すると引かれることがある。自分と相手は違う人間だから引かれることは当然ともいえるが。

 

前に友達と遊んで腕にヘナタトゥーを入れてもらった。2週間くらいで消えるし、職場の人に見えてもお客さん先で見せなければいいかと思っていた。実際に客先では長袖の作業着をまくることもせず、作業をしていた。事務所に戻ってから腕まくりをして日報を書いてたら、研修先の会社の人に「それ何〜?」と聞かれたので「ヘナタトゥーです〜」と会話し、散々ヘナタトゥーの話をした後に「へ〜気持ち悪いね」と言われて、これまでの会話何?!と思ったし、わたしとこの人は完璧に違う人間なんだと思い知らされて少し悲しかった。悲しい思いをするなら自己開示などしなければよかったとも思った。

 

自分のことを、誰に話せば・どこまで話せば引かれることがないのか、探りながら自己開示をしていくことはとても難しいな。

結局当たり障りのないことを話すしかない気がする。うーん。けどそれって社長が話していた自己開示をしてコミュニケーションを取ろうねという主張からは逸れてしまっているとも思うんだよな。

ちょうどいい塩梅を探したい。

 

言いたいことも言えないこんな世の中なんてpoison状態じゃん。

 

君のままでいたいなんて言葉聞き飽きたから

うん

このまま遠くへ行っちゃって

 

 

平成の終わり

 

もう令和になってから15日も経ってしまった。まだ半月か、もう半月か。

 

5月になって10連休中に、約4年間住んだ江古田から引っ越しをした。

わたしは本当に引越しをなめていて、まあなんとかなるでしょと思って前々日にも全く手をつけられていない状態だったので、引っ越し準備を手伝ってくれた友達にはとっても怒られた。その通りです。

しかし友達とか彼氏とかのお手伝いの甲斐があってなんとかなった(結局なんとかなってしまうのでここからの学習がない)。みんなには頭上がらんです、マジで。

 

引っ越し準備の中で昔の彼氏からもらった手紙とか見たくなかったお知らせとか、忘れていたような写真が出てきたりして、この部屋はわたしよりもわたしのことを覚えてたのかなと思ったりもした。中学の時に好きだった男の子の写真が出てきたのはマジでビビった(修学旅行の写真を番号で買うやつで、その男の子が映ってた写真をこっそり買うという気持ち悪いことをしていた)。もういらないなと感じるものは全て捨てた。思い出はゴミになるんだねと悲しくもなったけど、またこれから思い出を作っていきたいよ。

 

大学生活を最も過ごした場所であり、いろんな友達と遊んで、いろんな男を連れ込み、成長のないわたしを見守ってくれてたのはやはり江古田のマーベラスハイムであったと思う。隣人は最後まで恐怖であったがそれもそれで良い思い出だ。

飲みすぎて部屋で気絶しても、泣きながら1人で弾き語りしても、友達と友達が知らぬ間にセックスしてても、誰にでも寛容な場所だったなあの部屋は。

 

いつのまにか家の前には比較的大きいセブンイレブンができて(店長が人の良さそうな顔をしていて好きだった)、すぐ近くにはポケモンジムがあって、ジムの隣は全員刑務所あがりに見える店員しかいないスーパーみらべるがあって、3分歩けば北新井公園に着いて、そこからすぐ大学に行けたし、少し遠くに散歩したければ江古田の森公園か江原公園に行っていた。

 

暇さえあれば南口の四文屋で昼からキンミヤ梅割りを飲んでいた。そんな日々はもうおくれないかもしれない。あの時のあの人たちと飲むキンミヤ梅割りだからこそ美味しくて気持ちよく酔えたんだと思う。わたしは江古田の線路沿いのこの道が本当に好きだった。

 

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北口には上京してはじめてアルバイトしたパンコントマテというイタリアンがあって、そこの店長もわたしがバイトしてた時とは変わってしまったけど、みんないい人たちだった。バイトに入らないでクビになったことも今ではいい思い出だと思えてしまう時の流れはすごいな。たまに遊びに行ってもみんな優しい。パンコントマテのうどんみたいな太麺がわたしは地味に好きだった。


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江古田という街にはいろんな人たちとのいろんな思い出があるけど、そのどれか1つ1つも忘れたくないなと思わせてくれるステキな街だよ。みんなが江古田に集まろうとする理由もわかる。

 

平成も終わって令和になってしまったけど、平成のあの日々を忘れたりはしないよ。

 

何もなくたって嬉しかったのさ

ベイビー かなりツボったぜ

腐りながらでも笑えちゃうかもな

平成も終わっちまうみたいだ

 

 

平成も終わっちまうみたいだ