下北沢演劇映画祭に行って、
『ダンスナンバー 時をかける少女』を見てきた。
全てがキラキラしていた。三浦直之監督の作品は、演劇でも映画でも媒体が変わらずすべてが美しくこうありたいと思う作品だ。
相変わらず亀島一徳の純粋すぎる主人公、捉えきれない島田桃子のヒロイン、今作では我妻三輪子とのダブルヒロインだと言えるけれども。
このダブルヒロインが本当に良すぎた。
未来の自分の子孫ということが劇中でわかる、本当か嘘かわからないストーリー展開。ロロの演劇を見てるとわかる、突拍子も無いことばかり。
運命の人を来世の来世まで追い求めるヒロインと、求愛されても死んですぐ生き返るヒロイン、ヒロインが死んでも生き返らせて愛を伝え続けるヒーロー、その3人が最後までも素敵だった。なにその三角関係。憧れるうらやましい、ロロの父母姉僕弟君を見たときと同じような、過去現在未来を感じさせるような演出がまた良かった。
最初の亀島一徳のセリフからまず最高なんだよ。クノールカップスープのCMに出てくるような女の子。なんでそういう形容詞が出てくる?言われて気づかされるような純朴さにしてやられた、と思った。クノールカップスープのCMに出てくる女の子のようになりたいとみんな思ってるはずなんだよ実はね。
運命には抗えないからこそ、運命の人を求め、運命の人よ待っていてねわたしが迎えに行くからと叫んで求めて同じ場所で同じ歌を歌う我妻三輪子が本当に愛おしい。最後の時を踊る少女のユニゾンは圧巻だった。
全てのさよならは お世辞みたいなものさ
かさぶたのようにへばりついて
僕はどこへもいけない
君が思い出す時だけ
すぐ現れるだろう
僕は歌になって君と初めての恋をする
涙が出るんだよ、本当に。
僕が自分と話す時
まだ見ぬどっかの君が
頷いているはずなのさ
届けたい肝臓で
海の中陸を空を泳ぐ魚
時間も距離も超え全部
片思い 叶わない
相変わらず三浦直之の描く少年少女になりたいと願うばかりの脚本と演出、作品であった。
個人的に印象的だったのは篠崎大悟の
人と関わることは自分を傷つけることだよ
というセリフだ。この言葉に全てが詰まっているのだこの映画は。
ヒーローとヒロインはお互いのエゴを押し付けあって傷つけ合うのだ。
我妻三輪子もヒーローとは出会えないまま、エゴで突っ走る。傷つくために運命の人を探しているのだ。
でもそれさえも跳ね除けるような、運命と生命力を感じさせる。
素敵だね、こうあるような人生でいたいねと思わせてくれた、ありがとうロロ。ありがとう三浦直之。