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わたしのこと

 

 

久しぶりに自分の心が追いつかなくて泣いてしまった

もういろんなことに耐えられなくなってなんでもないふりすることができなくなってしまった

 

朝早くに起きてバイトする生活も

たくさん一緒に遊んでた一個上の先輩たちがみんな就活の話をすることも

同期が就活準備講座に行くことも

懐かしい思い出話が2年前のことになってしまうのも

耐えられない

しんどい

 

わたしはいつでも今を生きていたつもりだったのに最近は昔のことばっかり思い出してしまう

心が今についていけなくて

いつまでも先輩と遊んでしまって

同期が嫌いとか後輩が嫌いとかではなくて

みんなはいつでも今を生きてるのにわたしだけついていけてないみたい

本当にどうすればいいの?

 

今日授業で価値観の多様性の話を聞いたんだけど

大学6年生になって卒業していった生徒が在学中に就活もしないで外国に行ってたらしくて、それを聞いた先生がちゃんとしなきゃダメだよ的なことを言ったらしいんだけどその言葉に対して

逃げちゃダメなんですか?と返されて、確かにそうだよなぁって先生が思ったっていう話。

逃げちゃダメなんですか?って本当にそうだと思う。

逃げてもいいんだよっていう価値観が認められてもいいはずなんだよ

 

 

2年前とはいろんなことが変わってるはずなのになんでこんなに昔を思い出してしまうんだろう

なんでこんなに変化を認めたくないんだろう

 

わかんなくて泣けてくる

 

最近、同期と一個上だけの空間がめちゃくちゃ好きでそれって1年生のころに戻った気持ちになるからで、そのことを今日思い出して思い出話を共有して、センチメンタルになって、彼氏と会ったけど途中までよかったのに最後に彼氏がうちに泊まる予定だったのにやっぱり就活で疲れてるから帰るみたいに言い出してなにそれって思ってでもそんなんわたしのエゴだし本当に意味ない迷惑かけるだけ

 

 

逃げてもいいですか?

 

HELP!

 

 

新歓合同ライブというものがうちの大学の軽音サークルでは毎年行われているんだけど、その合同ライブで後輩が演奏してたビートルズのHELPがめちゃくちゃよかった。みんなにも聴いてほしいな。

 

 

最近はバイトするか、新歓活動するかの毎日だったな。なんとなく休まる時間がなくてただ時が過ぎていった気がする。

一日中なんもなくて、ぼーっとしたりする日がほんとにない。暇が怖くて予定を埋める病気なんだけど、それ以上に生活するのがしんどくなってきて、そんな中でバイトで残業頼まれたりみんなの愚痴きいたり、わたしも疲れたなって思う。

明日から授業が始まるけどそれも考えたくないし一生春休みがいい。生活をきちんとできなくて洗濯物を5日分溜めたり、洗面所やトイレ掃除ができないまま過ごして汚い部屋で毎日起きてる。自炊も全然してなくてセブンイレブンで毎日朝ごはん買ってる。メガネのおじさんか、ヤンキーみたいな金髪か、ネズミ男みたいな顔してる人のどれかが接客してくれる。毎日同じ値段のサラダ買っていくんだからそろそろわたしのこと覚えてくれてるかな。

 

自分がしてしまった最悪なことを思い出させるようにわたしに接してくる人、本当にやだな。自分の忘れたいことを嫌でも思い出してしまって逃れられないので。でもそういう忘れたいことを忘れないで認めて誰にも話さないで背負っていくことが償いのようなものなのかなとも思う。強い心を持ちたい。

 

大好きな女の子がブログを消してしまって悲しくて、インスタグラムに悲しい〜って投稿したあとにその子からラインが来たのでわたしのインスタグラムを見てくれているの?と疑った。見てくれていても見てくれていなくても、ラインが来てくれて嬉しかった。その子が消したはずのブログ、昨日見たら復活していたので嬉しいな。わたしは一生ただの読者です。

 

寝る前にせめて化粧とコンタクトを外してから寝たい。来週の今頃秋田にいるの想像できない。マイヘアのライブ楽しみ。

 

僕をわかってくれない君をわかってあげたい、

 

 

サラバ青春

 

卒業ライブから卒業式にかけて、めちゃくちゃ聴いてた曲。

https://youtu.be/I7Ws8wUho5Y

 

卒業ライブの時に、大好きなチャットモンチーというバンドを組ませてもらったんだけどその時にこの曲やらない?って提案したら、それはお前が卒業の時にやった方がいいよと先輩に言われたので今からもう自分の卒業ライブの時にはこの曲をやろうって決めてる。

高校を卒業する時もこの曲聴いてた気がするなってくらいずっと好き。

 

昨日卒業式があって、打ち上げがあって、オールでって感じだった。卒業式で、新歓の時に見学に行って仲良くなったラグビー部の先輩とたまたま会えて写真を撮ってもらって嬉しかった。ほんとは女子ホッケー部の先輩とも撮りたかった。残念。軽音楽研究会のチャットモンチー好きな先輩とも撮ればよかった〜ってめちゃ後悔したけど、もう遅いのです。また会えるかなぁ。けど今あげた先輩たちはもう会えない気がしてしまうなあ。悲しいね。

 

卒業って、当たり前だったことが当たり前ではなくなることをとても身近に感じられることなんだと思う。今までずっと一緒にいた人たちが学校からいなくなってしまって、どんどんそれが当たり前になってしまうんだよなあ。先輩たちがいないライブとか、大学の喫煙所に行ってもいつもいる人たちがいなかったり、部室にもいなかったり、って色々考えてしまって悲しくなった。今まで通りではなくなってしまうことがとても怖い。そしてそれに慣れていく自分も怖い。でももう1週間もすれば新入生が入ってきて自動的に進級して、当たり前になっていくんだな。そうやってもう3年生になるんだ。

 

 

卒業式の前の日に僕が知りたかったことは、なんなんだろう。

 

笑い話

 

わたしが好きなラブリーサマーちゃんという歌手の曲の名前です。

この曲のサビにある「いつになったら偶然会えるようになるのかな」という歌詞、最高すぎ。

 

高2の時にラブサマちゃんのことを知って、その時付き合ってた人と自分のことをラブサマちゃんの歌に重ねていたりしていた。その人とは付き合ったり別れたりを繰り返していて、だからわたしはその人と街中で偶然出会いたいと思っていたし、いつかこんなツラいと思っていることも笑い話になるのかなと思っていた。まあ、今はすっかり笑い話になっているから時の流れはすごい。

 

今日ラブリーサマーちゃんのワンマンライブに行った。前からラブサマちゃんのライブに行こう行こうと思って行けてなかったので今日行けてよかった。サークルの先輩は結構ラブサマちゃんと仲良しな人もいて、招待(ゲスト?)で行こうよと誘われたりしたんだけど誘われた時にはチケットを買ってしまっていたので普通にお金を払って行った。こういう小さい投資でラブサマちゃんには美味しいものを食べて欲しい。鳥の串カツとか。

 

ラブサマちゃんの曲は何回も何十回も携帯の中で再生していたはずなのにライブで聴いた時は全然違ったし(良い意味で)、いろんなことが思い出されてライブはすごいなぁと感じた。高2の自分とかもう4年か5年も前のことなのに、ライブ中になんだか高2の自分を思い出してしまってノスタルジックだった。高2ってあんまりいいことなかったな、、、部活が強かったくらいだ、、わたしはマネージャーだったから何もしてないけど、、、

 

全体的に「青さ」というものが強調されていたライブだと感じた。照明もラブサマちゃんの服も、来場者へのゆるいドレスコードで用いられたのも青。そしてラブサマちゃんが歌う歌詞には青という歌詞が多く入っている気がした。

 

青春、青さ、隣の芝生、青の瞬き。

 

わたしは好きな色はなに?と聞かれたら青とは答えない気がする。青色が嫌いなわけではなくて、単純に青よりも好きな色があるから。でも青っていろんなことを一色で表せられる色なのかなぁとも思った。黒だと混ざりすぎてよくわからないし、赤だと主張が強すぎる。けど、青なら心の中の曖昧な部分とかどうしようもならない部分とかも表せられるのかなぁ。と、曲を聴いていて思った。

 

バイト終わりに見たラブサマちゃんのライブは最高だった。バイト終わりだったから立ちっぱなしで足が死んでたけど。

 

ツイッターでずっと相互だった子とも会えた。わたしのブログを全部読んでると言ってくれて嬉しいような恥ずかしいような気持ちになった。これも見てるかな笑。

ずっと知ってるようで知らないような、近くにいるのに遠いような、もどかしい関係だったけど1回会ったらもう友達だよね。また会いたいな。

その子はわたしがラブサマちゃんを推していたことがきっかけでラブサマちゃんを好きになってくれたらしくて、それもとっても嬉しかった。そうやって好きになってくれて、そのアーティストのライブで初めて出会うってなんか奇跡みたいだよね。

 

まあ、人生は奇跡の連続なんですけど。

 

 

これから夜行バスに乗って名古屋に向かいます。そして岐阜に行きます。

4列シートの夜行バス、初めて乗るけど明日は体バキバキになってるんだろうな。

 

 

流れ星を見に山に行きたいな。

 

 

桜の季節

 

すぎたら

遠くの街へ行くのかい?

 

 

桜がもう咲いていて、その画像がSNSでちらほら見られるというこの季節が

わたしは未だに慣れない。

 

熱海では2月の初旬にもう咲き終わっていて、こないだ行った時にはもう枯れていた。早いなあと思ったし、なんだか同じ時間が過ぎているとは思えなかった。

東京でももう桜が咲いている場所がある。これからもっとあったかくなったらすぐに咲いちゃうんだろうな。

でもこれって、わたしの周りの人にとっては当たり前のことで、卒業式に桜が咲くことも入学式に桜が咲くことも全部毎年あることなんだよなあ。

 わたしにとっての桜は4月の終わりから5月はじめに咲くもので、それは18年という年月の中の当たり前だからいきなり崩れることってないんだよね。

 

今日大好きな友達とまた東京の話をした。

わたしはずっと、東京近郊(埼玉とか千葉とか)に住んでる人なんて東京に住んでる人と同じじゃん。と思ってた、

でも友達と話してて違うのかなあって思い直した。

友達は地元が山梨なんだけど東京に行くにもバスで2時間かかるんだって。わたしは新幹線で4時間。全然違うって思ってたけど、それでも2時間かけて東京にのぼることと4時間かけて東京にのぼることはどっちも時間の長さとかではなくて、「東京にのぼる」という点では同じ。同じように埼玉とかに住んでる人も30分でも1時間でも時間をかけて「東京にのぼって」いる。

それぐらい東京は強い。

 

朝の満員電車に乗ってると、小学生とか中学生とかも乗ってて小さい頃から満員電車に乗ってかわいそうと思ったけど、逆に小さい頃からそういう経験ができるってわけで。田舎じゃ電車すら来ないもん。

わたしが今どんなに頑張ってもこれまでの田舎で過ごした18年間は変えられないし、小さい頃の経験はその時しか経験できないものだもんね。

 

その子は東京で生まれて育ちたかったと言っていた。

 

やっぱり東京で生まれた方が幸せだったのかな。

親も住む場所も自分で選んで生まれることはできないから。

 

 

桜の季節はいつになったら違和感がなくなるんだろうか。

 

 

 

Special

 

映画「わたしはロランス」を見た。

またまた阿佐ヶ谷で。

 

以下、感想を書きます。まだ見てないけどこれから見る予定の人は見ない方がいいです。

 

 

まず、わたしはこの映画を主人公・ロランスのトランスジェンダーという性同一性障害というところに焦点を当てた物語だと思っていたんだけどまったく違った。ロランスと恋人のフレッドの2人の、1つのカップルの恋の物語だった。

去年も性同一性障害の主人公の映画「リリーのすべて」を見ていて(たしかこれの感想も前にブログに書いた)、「リリーのすべて」ではわりと性同一性障害ということに関するところに焦点が当てられていたから「わたしはロランス」も同じような感じなのかなと思っていた。けど、「わたしはロランス」では様々な要素が深く絡みついてる気がして、性同一性障害のことも、恋人とどう向き合うかということも、その人生が普通なのかスペシャルなのか、自分自身と深く向き合おうとするロランスと恋人のフレッドの物語だなあと思った。

結果的に最後に2人は別れてしまうんだけど、ラストシーンでロランスがフレッドに対して「わたしたちは、わたしが女にならなくても別れていたと思う」 と告げるシーンがあって、誰かを愛することや他人と関係を結ぶこと(恋愛関係でなくても)はとても難しいのだと感じた。自分のことを1番大切に考えて行動することって当たり前のことだけど、今はそれをできる人が少ない気がするな。どこかで他人に気を遣って接して行動してる気がする。

フレッドは普通になりたかったけど、ロランスの生き方がスペシャルすぎてついていくことができなかったんだよなあ、

それを尊重できるのか、できないのか

普通なのか、普通じゃないのか。

 

一緒に見に行った友達は、みんな見た目にとらわれすぎじゃないかな?って思ったと言っていた。

本当にその人の魂ごと愛してるなら、見た目はどうでもいいことになるし、男の人を男と定義しているのも女の人を女と定義しているのも、全部見た目の問題じゃない?と話しててなるほどなって思った。

だから見た目はやっぱりめちゃくちゃ重要なんだと思った。

例えば自分の好きな人とかも見た目がいい悪いあって、

かっこいいから好き、かわいいから好きっていうのは少なからず誰にでもあるものだと思う。ブス専って言われる人でも、その人にとってはかっこよかったりかわいく見えるからブスには見えてないもんね。

見た目が1番目につくものだから、それを超えて魂ごと愛することなんてできるのかなあってわたしは思う。

異性愛、同性愛だって見た目で定義されてるじゃんね。

 

わたしはロランスを見てからもう2日たつし、なにがいいたいのかよくわかんなくなってしまった。

 

やっぱり感想を書くときはその日の夜に書くべきだね。

次からはそうします。

 

いま、グザヴィエドランの新作「たかが世界の終わり」が新宿で上映されてるからバイト終わりにでも見ておきたいな。

 

特別な夜をつくろう。

 

 

wonderwall

 

映画『Mommy』をみた。ユジク阿佐ヶ谷という映画館で。

前から見たかったんだけどなかなか見る機会がなくて、ようやく見れた感じがする。

 

グザヴィエドランの映画はトムアットザファームを友達とDVDで見たことしかなかったから、映画館で観れることが嬉しかった。

前に友達と話してて思ったけど、わたしは映画館で観る映画が好きだなと思う。その友達もそう言ってて、わたしもそうだなと思った。映画館で観る映画は集中できるし、シンプルに感情移入しやすくなっている気がする。だから来週もユジク阿佐ヶ谷に映画を観に行きます。

 

Mommyの感想を書きます。まだ観てなくてこれから観る予定の人はみないほうがいいです。

 

単純にめちゃくちゃ泣いてしまった。簡単にいうと母親と発達障がいの男の子の話なんだけど、親の強さというか子どもに対する愛情をめちゃ感じた。そして、自分が親になった時にそういうふうに子どもに接してあげられるのかなと思った。今の時代だとお腹の中にいる時からその子に障がいがあるかどうかが調べられるらしい。障がいがあるとわかって子どもを堕ろす人もいるけど、なんだか命を選んでいる気がして悲しい。経済的な理由とかで障がいがあったら育てられないなんて理由もあるかもしれないけど、子どもを産んで育てるってそういうことではない気がする。自分が子どもを産む時に同じことを言えるかわかんないけど。

映画のワンシーンで母親が息子に対して「あなたのせいでわたしの人生はめちゃくちゃよ!………………でも、いいの」

っていうセリフがあってそこが印象的だったな。そこが覚悟というか、親になるということなんだと感じた。

でも最後には、母親が息子を施設に送っちゃうんだよね。それはごくわずかな希望のために施設にいれたって母親が女友達に話すんだけど、わたしは最初それの意味がわかんなくてなんでなんだろう?と思った。映画が終わってからネットでいろんな感想レポみたいなものを読んで、施設にいれて息子をある程度でも自立させるためだったんだと思った。

親はだいたい子どもより早く死ぬ。

だから親が死んだ時に何もできないままだともっとつらくて希望なんてないから、その希望をつかませるために施設にいれたのかなと思った。

施設に入れるときのシーンとその前の回想シーンでめちゃくちゃ泣いた。泣きっぱなしでやだなあ。

 

映画館で流れるoasisのwonderwallが最高だった。

和訳詞が字幕で流れてて、こんなこと歌ってたんだってなった。

「僕を救えるのは君だけ」っていう歌詞がすごい頭に残った。「君を救えるのは僕だけ」じゃないんだと思ったから。

僕がスーパーマンになるのではなく、君がスーパーマンになる世界に行きたい。

 

 

わたしを救えるのはあなただけです。