いのち

 

自分の言葉で言いたいよ

君の言葉で聞きたいよ

生きる言葉を絶やさないよ

絶やさないよ

 

8/10〜14にかけて地元に帰省をした。

地元に帰るのは正月以来だから7ヶ月ぶりくらいだった。

お父さんもお母さんもお姉ちゃんも変わってはいないように感じた。

大学生から社会人になって、住むところも関わる人も変わって、変化を感じていたのはわたしだけだったのかもしれない。

自分が思っていたようなキラキラハッピー社会人にはなれていないな、と思っていた時に

お父さんやお母さんの実家に遊びに行って親戚に

「社会人としてがんばってらんだべ」と言われてしまう。そうだね〜としか言えない、本当のことはいつも秘密だ。

未だに出身高校でランク付けされたり、もう一生会わないような近所の知り合いの話をされたり、友達と居酒屋に行ったら中学の時に同じクラスだったたいして仲良くない人と会うような土地はもう嫌なのだ。

いつも帰省であっていた友達はだいたい東京に来ていて、地元にいて会いたいと思える友達がいなくなってしまったし、なんだか窮屈な場所だなと少し思うようになってしまった。

誰のことも何のことも考えずに自由に、自分の人生を、自分の為のものにしたいなと思った。

 

帰省中は少し悲しいことを考えた時もあったが、面白かったこともあった。お母さんの方の実家に帰った時に、中学三年生のお母さんが書いていた日記が出てきて、それを読んだらわたしが考えているようなことをツラツラと書き連ねていた。やはりこの母にしてこの子あり、という感じだ。部活でこういうことがあった、と書いた直後に最近は自殺について考えている、と書いていたり、将来の仕事の話をした後に嫌いな女の話を書いたりしている(嫌いな女に対する心構えがマジでわたしと同じスタンスでウケた)。同時期に出会っていて、わたしがこの文章を読むことができていたら多分お母さんになる前のお母さんとは、友達になれていただろうなぁとなんとなく思った。

お母さんがその日記の中で紹介していた詩が良かったのでわたしも紹介したい。

好きになるということは

心をちぎってあげてしまうのだから

痛くてしょうがないのです

この詩の後に 「雰囲気のすてきな詩だと思っています!」という一文が添えられている。

なんて瑞々しい感性なのだろう。日記の文字も、今とあんまり変わっていなくて好きだ。

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自分に興味がないので他人のことを知るのが好きだなと常日頃思っていたのだけど、友達の話はいくら知ることができても自分の親は親という側面しか知ることができないと思っていた(親以外の側面を教えてもらったことがなかった)ので、自分の親の、親になる前の一面を知ることができたことがとても嬉しかった。

人間の物語をもっと深く知りたいと思う。だから、映画も小説も、演劇も音楽も好きだ。物語を感じられるものが全て好きだなと思った。

 

みんなの物語を、ぎゅっと詰め込んでキラキラした飴玉みたいにしたい。

 

明日言葉を

失うとしても

悔やまぬように

本当を言いたい