平成の終わり

 

もう令和になってから15日も経ってしまった。まだ半月か、もう半月か。

 

5月になって10連休中に、約4年間住んだ江古田から引っ越しをした。

わたしは本当に引越しをなめていて、まあなんとかなるでしょと思って前々日にも全く手をつけられていない状態だったので、引っ越し準備を手伝ってくれた友達にはとっても怒られた。その通りです。

しかし友達とか彼氏とかのお手伝いの甲斐があってなんとかなった(結局なんとかなってしまうのでここからの学習がない)。みんなには頭上がらんです、マジで。

 

引っ越し準備の中で昔の彼氏からもらった手紙とか見たくなかったお知らせとか、忘れていたような写真が出てきたりして、この部屋はわたしよりもわたしのことを覚えてたのかなと思ったりもした。中学の時に好きだった男の子の写真が出てきたのはマジでビビった(修学旅行の写真を番号で買うやつで、その男の子が映ってた写真をこっそり買うという気持ち悪いことをしていた)。もういらないなと感じるものは全て捨てた。思い出はゴミになるんだねと悲しくもなったけど、またこれから思い出を作っていきたいよ。

 

大学生活を最も過ごした場所であり、いろんな友達と遊んで、いろんな男を連れ込み、成長のないわたしを見守ってくれてたのはやはり江古田のマーベラスハイムであったと思う。隣人は最後まで恐怖であったがそれもそれで良い思い出だ。

飲みすぎて部屋で気絶しても、泣きながら1人で弾き語りしても、友達と友達が知らぬ間にセックスしてても、誰にでも寛容な場所だったなあの部屋は。

 

いつのまにか家の前には比較的大きいセブンイレブンができて(店長が人の良さそうな顔をしていて好きだった)、すぐ近くにはポケモンジムがあって、ジムの隣は全員刑務所あがりに見える店員しかいないスーパーみらべるがあって、3分歩けば北新井公園に着いて、そこからすぐ大学に行けたし、少し遠くに散歩したければ江古田の森公園か江原公園に行っていた。

 

暇さえあれば南口の四文屋で昼からキンミヤ梅割りを飲んでいた。そんな日々はもうおくれないかもしれない。あの時のあの人たちと飲むキンミヤ梅割りだからこそ美味しくて気持ちよく酔えたんだと思う。わたしは江古田の線路沿いのこの道が本当に好きだった。

 

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北口には上京してはじめてアルバイトしたパンコントマテというイタリアンがあって、そこの店長もわたしがバイトしてた時とは変わってしまったけど、みんないい人たちだった。バイトに入らないでクビになったことも今ではいい思い出だと思えてしまう時の流れはすごいな。たまに遊びに行ってもみんな優しい。パンコントマテのうどんみたいな太麺がわたしは地味に好きだった。


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江古田という街にはいろんな人たちとのいろんな思い出があるけど、そのどれか1つ1つも忘れたくないなと思わせてくれるステキな街だよ。みんなが江古田に集まろうとする理由もわかる。

 

平成も終わって令和になってしまったけど、平成のあの日々を忘れたりはしないよ。

 

何もなくたって嬉しかったのさ

ベイビー かなりツボったぜ

腐りながらでも笑えちゃうかもな

平成も終わっちまうみたいだ

 

 

平成も終わっちまうみたいだ