9月にさえなれば全て笑える気がしたんだ
何もかも身もふたもない話になって
南へと向かうあの人の陰に
わたしの足で追いつきたいの
tetoというバンドの歌です。
この歌は疾走感と残暑感があってすきだな。
今日は3ヶ月前に別れた元カレの誕生日だった。誕生日おめでとうとラインしたけれど未読無視されており、インスタは更新されており、つまりそういうことなんだろうなと思う。
わたしも早く前に進まねばという焦りがすごい、毎日焦ってるかも。
そしてメイドカフェでバイトしているんですが、1年くらい続けていた女の子が卒業していった。かわいくて人気のある子で、その子を推しているお客さんはたくさんいたんだけど、その子はバイトを続けることが辛かったみたいだった。まだ少ししか働いていないわたしも病みそうになるのでそうだよね、辛いよね、と思った。
その子の上がりの時間に、お店にいるお客さんとメイドで花道を作って最後にみんなで見送った時、泣きそうになっちゃったな。
けど、終わりがあるから始まりがあるんだよね。最近読んだマンガの中でも部活を続けたかったけど引退することになって、引退したからこそ好きな人と夏祭りに行けた、みたいな話を読んで、「終わりを受け止めて前に進んでいくことが君には必要なんだよ」ってセリフを思い出した。7年くらい前のマンガだけどまじで今読んでも引くほど良い。
バイトが終わって、その子を推していたお客さんはまた違う女の子を推していくのだろうか、と考えた。
好きだよ、かわいいね、と言っていてもいなくなったらすぐ次になってしまうのは悲しいなあ。そういう場所だってわかってるけど。結局その場その場で、それが永遠に続くことはないのかな。
なんかそういう意味でメイドカフェという場はとても刹那的だし、わたしは悲しい場所だなと思ってしまった。どんなにメイドの子が好きでも連絡先を交換もできない、その子がいなくなってしまったら終わりで、その子の本名も知ることはないんだよね。
お客さん達は終わりを受け止めてい続けられることがすごいなと思うなぁ。
そして次に進んでいくのか。
わたしは終わりを受け止めてい続けられる自信がないな、今はまだ。