Fantastic Drag

 

からだがあるあたし

カルチャーじゃない

 

自分がダメになりそうな時、自分を甘やかしたいと思う。なにか、なんでもいいので心の糧になりそうなものを探す、見る、考える、感じる。

 

今日はサークルの夏合宿が終わって、その足で知り合いの人が出ている演劇を見に行った。東京学生演劇祭というもので、一度に3つの団体の演劇を見ることができた。

その中でも知り合いの人が出ている演劇が1番よかったと思った。母親と娘の一生の、繰り返しの物語だったけれど自分に当てはめてしまい最後のシーンでとても泣いてしまった。最近泣くことがあまりなかったのでよかったなあと感じた。

冬にも、先輩が出ている演劇を友達と見に行ってその時の戯曲も1人の一生の話だったのでその時のことを思い出した。人生の話はいつでも自分に当てはめてしまい感情移入してしまう。お母さんが自分を育ててくれたこと、小さい時の自分のこと、中学、高校、大学と人生を進めていく中で変わっていく環境のこと。今まで好きになった人のこと。忘れられないことと、忘れてしまうこと。自分の中にいろんなたくさんのことがあるのになぜかいつのまにか忘れてしまうことが悲しいな。演劇を見ていると違う世界を見ているようで、実は身の回りでもあり得るのではないかと思うことが多くて気持ちいいと思う。もらったパンフレットに載ってた、今回の審査員の人の「演劇という表現は努力や才能だけではなく『存在そのものを認める』ことのできる芸術」という言葉が印象的で素敵だと思った。

 

人と人の言葉を身振りを全て生で全身で感じられるから演劇がすきだな。高校の時に文化祭でやってくれる演劇部の演劇を密かに楽しみにしていたりしたけど、演劇を自分から見に行くようになったのはやっぱり東京という土地のおかげかな。電車でどこにでも行けて、毎日たくさんの公演があって、文化的な自分を作れるなんて最高だ。演劇部の先輩や友達もできてそれきっかけで大学の演劇研究会の公演も1人で見に行くようになった。まあ、お母さんが演劇好きっていうのもあるのかもしれない。これもまた繰り返していることなのかもね。

 

人生って1つのようで1つではない、たくさんのいろんな物語の中でできているもので、これからもたくさんの物語ができていくんだろうなあ。

 

キラキラはもう嫌い