漂流教室

 

告別式では泣かなかったんだ

外に出たらもう雨は上がってたんだ

あいつは虹の始まりと終わりを

きっと1人で探しに行ったのさ

 

 

今日、大学1年生のころから懇意にしてもらってた先輩の訃報が届いた。

こういうことはあんまりブログとかに書いてはいけないんだろうけど言葉になりそうでならないどうしようもない気持ちがわたしにまとわりついてしまって本当にどうしようもないのでブログを書こうと思った。

 

その先輩と初めて会ったのはわたしが大学で最初にバイトしてたイタリアンで、サークルの先輩の彼女として会った。あっちはわたしのことを前から知っていてくれてたらしくて話しかけてくれて、大森靖子が好きという共通点から大森靖子縛りのカラオケに行こうと話してくれた。嬉しかったし、絶対行きたいと思った。結局その願いは叶うことがなかったんだけど。

それからちょいちょい会うことが会って、恋の話とかガールズバーでバイトしてしんどいですとかそういうどうでもいい話をした。いつも笑って話を聞いてくれたし、相談に乗ってくれた時もあった。

その先輩が少し精神が弱い方で家から出るのも大変みたいになったことも知っていた。でも今年に入ってからでも卒業式で見かけたり駅前で会って話したりもした。元気そうで安心した。だから、なんやかんやで大丈夫だと思ってたしそれが続くんだと勝手に思ってた。日常であって、当たり前だと思ってた。

でも当たり前なんてないんだって痛感した。

その人がなくなってしまったことについての詳細はまったく知らないんだけど、知らなくてもいいと思った。

1週間くらい前に、違う先輩からその人が最近入れたタトゥーを見に行こうよと誘われていた。ちょうど予定があってその誘いを断ってしまったんだけど、それを断ってしまったことを今すごく後悔している。後悔しても意味ないのにね。

わたしが最後に会ったその人は駅前で、わたしが言った冗談に笑いながらつっこんでくれた、学生同士の同棲はオススメしないよとアドバイスをしてくれた。

わたしの大学生活の中に確かに存在していた先輩の1人で、これからも存在してくれているんだと思っていた。

 

日常は本当に日常ではなくて、当たり前ではない。ずっと前から当たり前のことをみんな当たり前だと思って欲しくないって発信していたのに、わたし自身も当たり前だと思っていた。

わたしが今ここにいることも、友達も恋人も家族も、全部何かのきっかけでなくなってしまうかもしれないんだよなあ。

 

喪服を東京まで送ってほしいとお母さんにラインしたら電話がかかってきた。

お母さんに電話で、がんばりすぎないようにと言われた。頑張らなくても世界は回っていくんだよと言われた。

じゃあ、わたしがいなくてもいいんじゃないの?と聞いたら

世界のために存在しているわけじゃないからそれでいいの、なんで生きているかってそれは結局帰るけどディズニーランドに行くようなもんなんだよ

と言われた。

なるほどと思った。お母さんが言うには、人生は楽しむためにあるから楽しくないものはどんどん手放していけってことらしい。勉強も恋愛も生きているうちの暇つぶしであって苦しめるものではないよね。やらなきゃいけないと思ったことはやるな。ってそれが1番大事なんだと思った。久しぶりにお母さんと話して嬉しかった。何があるかわからないので6月あたりにでも実家に帰りたい。

 

 

みんな当たり前を当たり前だと思わないで生きていこうね。

わたしはたぶん、告別式では泣いてしまうと思うけど。