Special

 

映画「わたしはロランス」を見た。

またまた阿佐ヶ谷で。

 

以下、感想を書きます。まだ見てないけどこれから見る予定の人は見ない方がいいです。

 

 

まず、わたしはこの映画を主人公・ロランスのトランスジェンダーという性同一性障害というところに焦点を当てた物語だと思っていたんだけどまったく違った。ロランスと恋人のフレッドの2人の、1つのカップルの恋の物語だった。

去年も性同一性障害の主人公の映画「リリーのすべて」を見ていて(たしかこれの感想も前にブログに書いた)、「リリーのすべて」ではわりと性同一性障害ということに関するところに焦点が当てられていたから「わたしはロランス」も同じような感じなのかなと思っていた。けど、「わたしはロランス」では様々な要素が深く絡みついてる気がして、性同一性障害のことも、恋人とどう向き合うかということも、その人生が普通なのかスペシャルなのか、自分自身と深く向き合おうとするロランスと恋人のフレッドの物語だなあと思った。

結果的に最後に2人は別れてしまうんだけど、ラストシーンでロランスがフレッドに対して「わたしたちは、わたしが女にならなくても別れていたと思う」 と告げるシーンがあって、誰かを愛することや他人と関係を結ぶこと(恋愛関係でなくても)はとても難しいのだと感じた。自分のことを1番大切に考えて行動することって当たり前のことだけど、今はそれをできる人が少ない気がするな。どこかで他人に気を遣って接して行動してる気がする。

フレッドは普通になりたかったけど、ロランスの生き方がスペシャルすぎてついていくことができなかったんだよなあ、

それを尊重できるのか、できないのか

普通なのか、普通じゃないのか。

 

一緒に見に行った友達は、みんな見た目にとらわれすぎじゃないかな?って思ったと言っていた。

本当にその人の魂ごと愛してるなら、見た目はどうでもいいことになるし、男の人を男と定義しているのも女の人を女と定義しているのも、全部見た目の問題じゃない?と話しててなるほどなって思った。

だから見た目はやっぱりめちゃくちゃ重要なんだと思った。

例えば自分の好きな人とかも見た目がいい悪いあって、

かっこいいから好き、かわいいから好きっていうのは少なからず誰にでもあるものだと思う。ブス専って言われる人でも、その人にとってはかっこよかったりかわいく見えるからブスには見えてないもんね。

見た目が1番目につくものだから、それを超えて魂ごと愛することなんてできるのかなあってわたしは思う。

異性愛、同性愛だって見た目で定義されてるじゃんね。

 

わたしはロランスを見てからもう2日たつし、なにがいいたいのかよくわかんなくなってしまった。

 

やっぱり感想を書くときはその日の夜に書くべきだね。

次からはそうします。

 

いま、グザヴィエドランの新作「たかが世界の終わり」が新宿で上映されてるからバイト終わりにでも見ておきたいな。

 

特別な夜をつくろう。