東京近郊路線図

泉まくらの歌です。最近よく聴いてる。夏休みで帰省してて今日は5日目。1週間も帰省すると長く感じる、今度からは5日間とかにしようかなあ。帰省してる間ひまだし。高校の友達とか中学の友達とかと遊んで、大学の人といる自分とは違う自分をたくさん感じた。それで最近読んだ本のことを思い出した。平野啓一郎「私とは何か」です。大好きな友達がブログでこの本のことを書いてたので、そのブログを読んですぐその友達に連絡して大学図書館でこの本を借りた。主に書いてあるのは平野さんの考える「分人」というものについてなんだけど、「分人」というのは一人一人の相手によって変わる自分のことで、自分というものは実は分人というものに分けられるというのが平野さんの考えなのね。Aさんに対する自分とBさんに対する自分は必ずしも同じものではないんだけど、それは自分の中でAさんに対する分人、Bさんに対する分人というふうに別れているから当たり前なんだよ、というものです。もっと詳しく説明とか書いてるので気になった人は読んでみてね。面白いよ。そこで、わたしはこの分人を切り替えるスイッチみたいなのが自分にあるんじゃないのかな?と考えました。それこそ、大学の人といる時の自分と帰省した時の自分で全然違う大きな点は標準語か方言かという点で、こういうものが知らず知らずのうちに自分のスイッチになってるんじゃないかなって思った。帰省して方言をしゃべるだけで、東京にいた時のしゃべり方は忘れて昔のような自分が出てくる。着る服も景色も変わってしまっても、みんなでおしゃべりしてたあの頃の記憶はいつまでも変わらない。いつまでもそんな風にいたいと思った。青森のコンビニはいたるところに喫煙スペースがあるので、近所のコンビニでタバコ吸いたいなと思ったけどお母さんとか悲しませたくないので地元で吸うことは一生ないと思います。地元です。23時ちょい前くらい、人も車も全然いないこんな土地で生まれたけどこれがわたしの普通だった。

 

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