片道切符

 

ああ 片道切符 もう帰れやしない

去年の夏

線香花火落ちてしまうこと

こんなにも悲しいなんて

 

去年の夏に戻りたいですか?

わたしはあんまり戻りたくない。

去年の今頃はキャバクラでバイトし始めて精神が死んでいたなあ。

テスト期間終わって夏休みのシフト入れようとした時オーラス(オープンラスト)でシフト入れられて嫌になってバックれたの覚えてる。

その時は本当に自分が嫌で嫌でたまらなくて、自暴自棄気味になってた。わたしが本当に嫌いなわたし。

キャバクラで一番売上げてたうみちゃんという女の子がタバコ吸うの?うちはラークを吸ってるよ!と言って話しかけてくれたの覚えてる。元気かなあ。まあ元気でしょう。

 

彼氏が明日誕生日でいろいろ準備をしてた。プレゼント買ったりお店の予約したり。でも、今日友達と彼氏が地下アイドル好きでそれに嫉妬してるって話をして、彼氏のアイドル垢の話になって、存在は知ってたけどツイート内容とか見たことなかったから気になって見てしまった。自分が思っていた以上のことをツイートしてて結構萎えた。というより悲しい?ショック?という気持ちの方が強いのかも、なんて言葉に表していいかわからないけど。別にアイドルを好きなことを否定したいわけではなくて、それはそのままでいいと思うけど、わたしは結局その地下アイドルには勝てないのかと思って悲しくなってしまう。彼氏にとっての絶対な1番でいたいけどそれってやっぱりわたしのエゴなのかな。誰かの1番になるなんて無理なのかもしれない。

 

男友達と前に飲んだ時に、彼氏彼女の話になって彼女の束縛が強いの嫌だねって話をした。例えば、何か商品を買った時に悪い点があったらそれを自分好みにカスタマイズしたい人と、この商品はこういう悪い点もあるけどそれもこの商品の1つの持ち味だからと思える人のふた通りあって、束縛が強い人は前者なんじゃない?ということを言ってて、とても納得したし、わたしは後者でありたいと思った。だから、彼氏がいくら地下アイドルを好きでも許容してあげたいし束縛したくない。けどモヤモヤしてしまうのはわたしの心が狭いからなのかな。

逆に彼氏は、わたしがめちゃくちゃジャニオタとかで、〇〇くんかっこいい好き付き合って一緒に暮らしたいとか言ってても許容してくれるの?とか思う。そりゃアイドルと一般人を比べるのはバカだけど、気になってしまうのは仕方ない。本当に好きだったら全てを受け入れるとかいう綺麗事言ってるやつは全員水虫になってください。とりあえず明日のテスト頑張ります。

 

Last Love Letter

わたしの知らないところで傷ついてはいませんか?

誰も知らないところで泣いてはいませんか?

 

ブログにもずっと書いてきたみたいに、横断ゼミという自分の学科の専門ゼミ以外のゼミをわたしは取っているんだけども、土曜にその最終報告会という集大成になる報告会があった。発表の最後に各学部のチームリーダーから一言話す場面があって、わたしの学部のリーダーが話し出そうとした時に泣いてしまっていて、周りの人は笑っていたけどわたしは本当に胸がぎゅうとなってもらい泣きしてしまった。そのリーダーの子は本当に頑張っていて、リーダーという責任感から1人で負担を抱え込んでいるのが側からみていてもわかるくらいだった。その子だけが、1人で負担を抱えていたわけではないけれど、最後の報告会で涙が出てきてしまうくらい頑張ったんだなあと思った。それくらい一生懸命に打ち込めることって素晴らしいしすてきだ。みんなの前で泣いてしまうくらいの努力が、報われてきたのなら本当に良かったと思う。

 

わたしも、この横断ゼミを頑張ってやってきたつもりだった。やらない人に対してイライラしたり、なんでわたしだけやってんだよという気持ちにもなった。話しあいの時の無駄な脱線話とか、今何してるの?という時間が多く、みんな自分のことしか考えてないじゃんと思うこともあった。けど、泣くまで頑張ったかと言われると違うのかなとも思う。横断ゼミを前にとってた先輩に話を聞いた時、本当にきついけどやって損はないよと言われてそういうつらいゼミなんだと思って履修した。だから、もっときついのかなと思ってたけれどそうでもなかった感じもする。この感覚は、去年の文化祭の時と同じだなというのを今日思った。初めて実行委員になって、自分の企画を1人でやるのは大変だよと言われ続けたけど、結局できたし思っていたより大変じゃなかったかもと思った。というか、もっと大変だと思っていた、ということの方が近いのかも。企画をやることは初めてのことだし先輩にたくさんわからないことを聞いてばっかりだったけれど、そのサポートもあって意外にすんなりできたというのはある。

でも、もっともっとつらくて大変だと思っていた。企画をすることも、横断ゼミも。これは人一倍打たれ強いのか、辛いという状況に対する周りの人との認識の差なのかはわからないけれど。やってる時は大変だと感じることはあるけど、終わった後にあ〜つらかった!!と思うことはあんまりないのかもしれない。

 

わたしは今まで涙が出るほど頑張っていたのかな。

 

涙が報われるくらい、頑張っていたのかな。

 

ドグママグマ

 

誰でもなれます ゴッド

 

今日7月14日はなんとなく大切にしていた日だった、去年の今日は自分に絶望して、しにたいと本当に本当に本気で思っていた。しかし結局タバコを吸い始めるってことくらいしか残らなかったな。去年のその日のことは去年の日記に書いてあってまた見返した。この時にことねがわたしのことを日記に書いてくれていて、その日記がわたしはとても好きだった。その、しにたくなった原因は今の彼氏なんだけどその人ともう10ヶ月も付き合っているという事実すごい。世の中にはそんな不思議なことがあるもんなんですね。

 

昔と今では自分は変わってしまったのかなと思う。わたしが変わったのか、周りが変わったのか。最近は高校の友達とうまく接することができない気がしてきた。あっちが悪いとかこっちが悪いとかではなく、成長というか人生の過程でそうやって友達との関係が変わっていくことは仕方ないことなんだろうな。

 

やることが多すぎて苦しい。結局実家にも帰ってない。お母さんから手紙と一緒にイヤリングとネックレスが送られてきて嬉しかった、逆につらくなる。

 

自分が神様と思って精神を強く持つしかない。

 

サマーヌード

 

土曜の夜にカラオケ行った時に好きな先輩が歌ってた真心ブラザーズのうた。夏ぽくて、よいなあ。夏の生暖かい空気が想像できちゃう感じ。

 

ビアガーデン行ってカラオケ行って万葉倶楽部で遊ぶっていう豪華てんこ盛りな企画だったんだけど先輩ばっかりで緊張しちゃったな。けど先輩大好きだから何歳も下のわたしと遊んでくれたのが嬉しかった。もともと末っ子だし後輩気質だから先輩といるととても楽だな〜と思う、後輩と一緒だと後輩が楽しめてるかなと思ってしまい気を使いがち。でもあんまり遊んだことない先輩と一緒でも気を使いがちだったわ、笑。

 

久しぶりにみなとみらい、元町・中華街あたりに行って去年のクリスマス(ほぼ年末)に前の彼氏と行った中華街とかコスモタウンとか見てその時のことを思い出してしまった。その時は中華街で食べ放題たべて、お散歩して観覧車乗ったんだよな〜。カップヌードルミュージアムも行ったけど最終受付が終わってて入れなかった。カップヌードルミュージアムはいつも誰と行っても最終受付が終わってるから今度こそ行きたい。

 

大学生活も3年目になって、最近は思い出を上書き保存してる感覚がすごい。行くところ、行くところ、前にも行った時のことを思い出して今回の思い出をまた新しく保存してく感じ。今回は元カレとのみなとみらいを先輩たちとの万葉倶楽部の思い出に。20歳までに人生の半分以上のことは経験してしまうから、20歳過ぎたら時間の体感速度がどんどん速くなってしまうって前に誰かにきいた。この上書き保存もたぶん、それと同じようなことなんだと思う。同じところに行って同じ体験を違う人たちとするような、なんかそんな感じ。東京で生活し始めて3年目だけどいろんな思い出があってそれってすごく嬉しいことだと思う。これからも経験を上書きしていきたい。別名保存でもいいけど、笑。

 

昨日の夜こんな感じのこと書いてアップしようとしたら文章が全消えして萎えたので朝書き直しました。泣

放課後てれぽ〜と

 

さよポニの新曲。やっとCDからケータイに入れて日常的に聴けるようになった。こんなクソめんどくさい作業毎回するのやだから本格的にアップルミュージック🍎を始めるか迷うところだな。

 

土日でサークルの新歓ライブがあった。わたしはクリープハイプandymoriのコピーをした。ライブで盛り上がってくれたり、終わった後に演奏よかった!みたいに言われたことが嬉しかった。いつも嬉しいんだけど今回はわたしがいないところで褒められたりとか楽器じゃなくて歌のことも褒めてくれたりとかして、特に嬉しかった。わたしは周りの上手い同期とか後輩とかと比べて大学から楽器を始めたし、ギターも歌もわたしだけいつも下手くそだと思っていた。仲良い先輩にはそれはお前が練習してないだけって言われて、その通りだから何にも言えなかった。今回はそこそこ練習した。歌は練習してない。好きだからずっと聴いてたけど、だからなにより今までの積み重ねが身になってきてるんだと思えた。一年生から下手くそでライブ前の練習期間はわたしだけ下手だからいつも落ち込んでて、ライブ終わった後の良かったよみたいなやつも全部お世辞だと思ってた。今回はそうじゃなくて、自分でも前より上手くなったと思ったしそれを周りの人に認めてもらえたことが嬉しかった。なにより楽しんでライブができたのが一番よかった。今年の一年生も、楽器が上手い子が多くて初心者の子とかわたしみたいに下手くそだって落ち込んでるかもしれないけど、落ち込みつつバンドをたくさん組んで地道にやればいつかは上達するんだってこと知って欲しい。わたしは三年目の今年ようやくそれに気づいたので、途中で楽器を弾くことを諦めなくてよかったと思った。

 

打ち上げで同期と今のサークルについてどうよみたいな話をした。わたしが思ってることと、そいつが思ってることをさらけ出しあえた気がしてなんだか泣きそうになってしまった。愛があるからダメな人を叱ってあげられるんだと思った。みんな、やっぱりすべては愛なんだと思った。わたしは気づいてあげられる人になりたい。そしてやっぱりすべてを肯定できるわたしだけの神様になるんだ。

 

だめだな

 

わたしはすぐ言いたいことを言葉にしてしまうし、そのまま人に発信してしまう。いいところでも悪いところでも思う。好きな人に対して、ばかって言った後に好きって言ってしまうような典型的なやつだ。ほんとうに好きだからばかって言って隠すしかない。ちょろい女だと思われたくないので。

 

ブログを始めてから一年以上たった。このブログはリアルの友達は本当に教えてもいいと思えるくらい好きな人にしか教えてないし、あとはツイッターの趣味垢の友達くらいしか知らない。だから続けてこれたと思う。

わたしがブログを始めてから、友達にブログ始めてよ!とすすめることが多くなった。これは友達が何を考えてるかみたいという好奇心と、やっぱりブログという新しいような古いようなSNSを人々が求めているからであると思う。実際にブログを始めてくれる人が増えた。その人が考えてることとか知ることができて嬉しかった。同時にわたしのことも知られているわけだけど。でも、それでもいい。人はいま、自分のことを好きなように発信できるコンテンツに飢えているんだと思う、SNSが発達しすぎて自分のことは発信する限りいつも誰かに知られていて。そんな中で自分だけが知る自分のこと。自分が許した人だけが知る自分のこと。そういう居場所はやはり心地よいと思う。この時代に自分の考えたことを発信できるブログを書くことができて嬉しい。また明日はゼミだけど頑張るね。

サイコ・パス

 

ついにその日が来てしまった。

サイコ・パスとわたしが対面したのである。時刻は12時過ぎ。サイコ・パスは寝てるだろうと推測したのが間違いであった。

 

戦争は随分前から始まっていた。最初はなんともなかったのに、友達を家に呼んでおしゃべりしていた寒い冬の日、そいつは現れた。ギターを弾いたりして談笑していたら、いきなり壁ドンされたのである。まあ、ちょっとびっくりしたと思ってそのまま談笑を続けていた。友人の1人がタバコ吸って来ると言ってベランダに消えて部屋に帰ってくるなりそいつの話をし始めた。

「俺がベランダでタバコ吸ってたらいきなり隣の部屋の窓が開いて、俺びっくりしたからなんとも思ってないんだけどあ?って言っちゃったのね。そしたら『あ、じゃねーよ!うるせーよ!』って言われてバンって窓しめられた。」

なんだそれ。どんな隣人なんだよ。友達は黒髪ロングの女だった、と言っていてさらに気持ち悪くなった。お前は何様だ?

その日以降、そいつはわたしが楽しい気持ちの時に現れるようになった。

家で友達と遊んでいる時、家に彼氏といる時、壁ドンすることでわたしの生活を邪魔して来たのである。まあ、サイコ・パスだから仕方ないと思っていた。実際一年以上住んでいるがわたしは未だにサイコ・パスに出会ったことがなかったからである。しかし状況は一変した。昨日、お散歩から帰宅し部屋でとりあえずタバコでも吸って寝ようと思ってベランダでタバコを吸い始めた。そしたら隣の部屋の窓が開いた音がしたのである。これはもしや、、と思っていたらやつはベランダの仕切りから顔をのぞかせてこっちを見ながら『タバコくさいんだけど』と文句を言って来た。とりあえず「すいません…」と謝るわたし。謝ったあとも仕切りの内側からずっと『あー、タバコくっさ!!』と文句を言いながら窓をパシャりとしめて消えた。こいつはなんなんだろう、しかしサイコ・パスだから仕方ない。サイコ・パスにとってはわたしがあいつの生活を邪魔するやつなのかもしれないが、それはわたしにとっても同じである。わたしが楽しく過ごしている時をことごとくぶち壊してくるのがサイコ・パスだ。同じ値段の家賃を払っているといううえで、サイコ・パスとわたしの条件は一緒である。マンションの管理会社の人間にベランダでタバコを吸ってはいけません、部屋に友達を呼んで談笑してはいけません。と言われたことは一度もない。そうした点でいえば、わたしがサイコ・パスに一方的に文句を言われることはちゃんちゃらおかしいのである。嫌ならば引っ越しすればよい。禁煙で、壁が薄くないもっと条件がいいマンションなどいくらでもあるだろう。それなのになぜサイコ・パスはわたしの隣に住み続けるのだろうか。わたしはサイコ・パスの実態を調査するためにアマゾンの奥地へと向かった。続。